子どもの不登校が教えてくれたまさかの私の使命
【札幌市/佃さん】彼女は北海道の米作り農家の次女として生まれ、幼少期は天真爛漫な子でした。しかし、ある日「保育園に行きたくない!」と駄々をこねた彼女に怒った父親は、馬小屋の柱に彼女を縄で縛り付け放置…それ以来、彼女は無意識に自分はいらない子なんだと思い込み父に心を閉ざし親に反抗はおろか、思いを伝えたり悩みを打ち明けたり、そんな普通の会話もできなくなったと言います。そこからどんな人生が待っていたのでしょう。
どんな悩みや生きづらさを抱えて生きていましたか?
私は、子供の頃から自分を表現することが苦手で、いつも周りの人にどう思われるかを気にして生きていました。そんな話し下手な私の話を黙って聞いてくれた夫、この人となら幸せになれる!と結婚し長男・長女が生まれました。結婚後は、夫や子供を優先することが良き妻、良き母であると信じて一生懸命家族に尽くしましたが、頑張れば頑張るほど夫は、仕事、趣味、外の付き合いで多忙に。いつしか夫婦はすれ違い、いつも孤独なのに「寂しい!助けて!」など弱音を吐くことなんかできません。表面的には何事も無い風を装いながら「誰か私の気持ちを分かってよ!」と心の奥底にはフツフツとした怒りがいつもうごめいていました。
子育てに孤軍奮闘するものの娘も息子も不登校に。理由もわからない、解決方法も見つからない、さすがにもうお手上げ!こんなに一生懸命家族のために頑張ってきたのに…と、この世から消えて居なくなりたかったです。
その時、何が一番苦しかったのか覚えていますか。
中学生になった娘は、環境が変われば登校できるかも!と学校に行きました。新しい制服、教科書、新たな環境で歩み出す娘を、今度こそ!と期待した私に事件が起きたのは3日目の朝。泣きながら娘は「やっぱり行けない」と。でも頑張ってみようよ!と励ます私に娘が言った一言は「お母さん 私、生きていていいのかな?生まれてきてごめんね」でした。
この時は、さすがに辛かった。私はその後、何年経ってもこの言葉は忘れられず 娘を追い詰めてしまった自責の念に駆られて過ごしていました。
思考のシステムで何が紐解けましたか?
私が生まれた時、跡取りが欲しかった父は「また女か」と、名前を考えてくれなかったことを母から聞き、私は要らない子なんだと思いました。
5才上の姉は、女の子なのにとても大切にされている。というのも知的障害がある姉は、私が物心つく頃には実家から遠く離れた施設に預けられ、両親(特に母)は、丈夫な体に産んであげられなかった、自分の手で育ててあげられなかった、施設に置き去りにしたという罪悪感があり、姉が帰省した際には、とにかくVIP待遇で溺愛していました。
「お姉ちゃんは何も出来なくてかわいそう。それに比べてあなたは努力すれば何でも出来る」と、母から何度も何度も聞かされ「五体満足で生まれてしまってごめんなさい!お姉ちゃんを差し置いて私だけが決して幸せになってはいけない」と、無意識に思い込んでいたんだと理解しました。姉をいつも心配する親を見て、私は跡取りにもならない子、せめて自立しないと愛されない!自立を良しとして親の望み通り生きた人生は、自分の気持ちを後回しにする毎日。気が付くと私は自分が何を感じているのか?どうしたいのか全く分からなくなっていきました。
◎目からウロコの「あっそうか!!」ポイントを教えてください。
人間は、他人にどう思われるかを基準に生きていると、本当の自分が解らない。だから窮屈な事があったら目の前の環境や誰かのせいにする。姉が障害者だから、子どもが引きこもりだから、親がそういったから、あの人がこうしたから…と。勝手に敵を作って自分を被害者のようにしないとバランスが取れない、生きてこられなかったと解った時は驚きました。
自立している自分が、まさか被害者を演じるために引きこもりの子育てを創っていたなんて。
「分かってよ」と言えない分「大変ね」と言われる状況を無意識に選んでいたとは、テクノロジーで紐解かなければ絶対に気づけなかったポイントです。
そもそも、姉には姉の幸せの形があるのに、なぜ私達が勝手に不幸だと決めたのか。何かができることが良いことで、できないことは存在価値がないと。幸せになってはいけないと自ら手かせ足かせを付けておきながら、子どもが引きこもって苦しんで…あら!?これって望みどおり不幸になれたじゃない。(笑)
◎苦しみから脱出したらどんな世界(未来/生まれた目的)が見えてきましたか?
人間のエネルギーの仕組みでは、【子供は、親が子供時代に抑圧したものを表現している】というこのフレーズは衝撃的でした。私は、引きこもった子供の姿が、自分の無意識の投影と聞かされた時、本当に自分の本音をずっとカプセルに押し込めて“自分を虐待していた”と知り、やっと根源から解放されました。「○○ねばならない」という呪縛で自らを苦しめていた自作自演のストーリーは、私が生まれて来た喜びが隠れている最高のエンターテイメントの入り口だった。引きこもりの我が子は、私の生まれた目的やテーマを教えてくれるために私と主人を選んで生まれ、予定通り引きこもりになったのです。
私は、自分に自信が無く、コミュニケーションが苦手。だから挑戦しない、居心地の良い場所に留まる(子供の姿こそが私!)本当は表に出て輝きたいのに、愛を全身で受け取りたいのに。それを認めるのが怖かった。挑戦する前に失敗が怖いから〇〇だから…と諦めて生きて来た。
私は自分をいじめることも、後回しにすることも止め、自分の本当のシナリオを一番に生きると決めました。今、この体験を通して沢山のお母さんたちに、ここに答えがあるよと伝えていく、それが私のやりたかったことなんだと、全身に血が通って行くのを感じると、とどんどん見ている世界が変化していくのが楽しくて仕方がありません。
◎今の苦しみの渦から脱出したい人へ体現者として一言メッセージをお願いします。
私が自立を選んだエネルギーの正体は、母に愛してほしかったから。そんな私が親になると、その不足感を埋めるべく我が子には過干渉なほど手をかけました。それだけ手をかけたい私には、手のかかる子供でなくてはならなかった。だから二人とも不登校だったのです。
全ての事象には、それを作り出す根源が必ずあります。例えどんな負の感情も怖がらずに感じてほしい。その感情こそが、あなたを生きづらさから解放し答えへと導く鍵となります。
全く新しい自分と出会い、本当の自分の人生を生き直してみませんか?
“誰も悪くなかった!" と、一気に楽になる世界、ぜひ一緒に楽しみましょう!